フットボールにかける町民の熱意
ピューリタン革命が結局は不首尾に終わり、フットボール嫌いのピューリタンが政治の舞台から退場し、チャールズ2世の即位によって王政復古がなりました。
そのことを祝って、町の人びとが1660年代にフットボールを始めたのだろう、というのがポーターの推測です。
ダービーのフットボールと同様に・・・
アッシュボーンのフットボールも19世紀には町の当局者から弾圧され、多数の人びとが逮捕されたり、治安判事裁判所に召喚されたりするといったことがたびたびありました。
町の当局者や警察は、公道でのフットボールやその他のゲームを禁じた公道法(1835年制定)をたてに、大きな騒ぎのもとになるフットボールを止めさせようとしたのです。
・・・しかし、ダービーの場合とは異なり、弾圧されればされるほどフットボールにかける町民の熱意は高まり、アッシュボーンのフットボールは今日まで消滅することなく存続したのです。
サッカーユニフォームの種類の多さを見てもわかるように、今では世界的に人気のあるスポーツになっています。
現在、アコシュボーンのフットボールは、告解の火曜日だけでなく灰の水曜日にも行なわれます。
ダービーのフットボールは2つの教会区の対抗戦でしたが・・・
アッシュボーンでは、町の中央を東西に流れるヘンモア川の北側で生まれた町民(「上の組」と呼ばれる)と、南側で生まれた町民(「下の組」と呼ばれる)との対抗戦の形をとっているので、町のだれもが参加することができ、近年は女性の参加者もいるといいます。